2016年2月 の 現地報告! です。

【マルセーロのリハビリ】

妹のグアダルーペは手術の準備で来ているため、CAPEDISではもっぱら遊ぶのとお母さんのお手伝い。

田舎っ子だけあって、動き回って遊びまくる。やんちゃで注意をしてもきかない。

母親もあまり親として毅然とした態度をみせない。それで家族でなくとも真剣に怒る。耳を引っ張ってでも怒る。

泣いてでも大切なことは伝える。

こどもそのものよりも母親にどういう場面でどのように伝えるのかを教える期間だったような。

そして、マルセーロは10歳だけど11歳のホスエと比べるとずいぶんと大きい。態度もすっかりホスエのお兄ちゃん。

さらには21歳のロースメリーに対しても上から。(残念、ロースメリー。)

彼は右足首を2・3年前に痛めて、その時がわりと我慢できる状態だったからか、

本人もいいださず、親も気づかずにいて、ここ半年ほど足を引きづっている状態が長くなったため、相談した次第。

骨折はしていないけれど、ヒビが入った状態で固まってしまい、成長にともなって神経を圧迫している状態に。

また、痛みをかばいながら長い間過ごしたため足先の筋力がなくなっており、なおさら足をひきずってしまう。

リハビリは整骨と足の裏の筋力をほぐし、指を動かすことで筋力の回復を図ること。

簡単そうで、マルセーロはひーひー言ってましたよ。


【ホスエの誕生日】

ホスエは我が家のマスコット、ともいえるほどやっぱりかわいがられる。

看護士のひとりが「子供が喜ぶ楽しい誕生日にしたい」と言い出して、職員でお金を出し合ってピエロを呼びました。

小さな子供を持つそれぞれの職員はこどもたちを連れてきて賑やかに、

なんて言っていたのですが、ひとりも来なかった…

(そこがボリビア。話をしているときには大いに盛り上がるのだが、実行はしない。)

それでもみんな楽しそうにしていたので「ま、いっか」です。

因みにシエロの誕生日は大好きな職員の御家に1泊とおでかけ。

いつものように全身真新しい洋服を身に着けて満足して帰ってきました。(写真はありません)


【ボランティアのサラ】

2月からドイツからボランティアで来てくれているサラ。ロサリオの担当です。

でもCAPEDISの全体を知ってもらうために月曜日にはシエロとホセと一緒に畑へ。

畑ではシエロの担当になってもらいました。

シエロは頭がいいので、「どうやったら働かずに済むか」と知恵をしぼります。騙せるだけ騙します。

たとえば自分が1本草を抜いたら職員に5本取らせようとしたり、石や草をネコ車で運ぶのを人にやらせようとしたり、

おしっこを我慢している態度(その場所を押さえてもじもじする)を示してトイレに入ったら鍵を閉め、

職員が待たずにトイレから離れるとそっとでてきて、

自分のお気に入りの部屋で新聞を見て過ごす・・・細やかに騙します。

それがかわいいのですが、何も知らず、やさしさを前面に出してくるボランティアさんは最初は騙されまくります。

シエロのことがだんだんわかってくると、的確に彼女の仕事を提示できるようになり、

そうなるとシエロもつまらぬようで騙すのをやめます。見ている側はそのシエロとボラのやりとりがおもしろい。

がんばれ、サラ。


【Ronald、語学学校へ】

2014年にコンピュータのシステム技術を学ぶため私立大学へ進学した彼。

たくさんの困難があったわけですが、そんなことは最初から承知の上で本人が希望し、支援をお願いした訳ですが、

学業についていけず、しかも努力も見られず、とても簡単に大学をやめてしまいました。

どれだけの人たちが支援に協力し、動いてくれているのか、

またお金を集めるのに努力や苦労をしてくださっているのかを口をすっぱくしてみんなから説教された彼ですが、

幼いころから施設で生活し、ご飯も洋服もおもちゃもすべて「欲しい」と伝える前に与えられ、

自分で苦労することなく手に入れてきたわけですから、現実にぶち当たりながら学んでいくしかない。

2015年に入って「1年たったからまたお願いできるかな」と思ったのか知りませんが、

再度進学の希望を昭子さんに伝え、

「行きたかったら行けばいいじゃない。自分で探しなさい。私は何も手伝いません」

と宣告され大学の費用を出してくれる相手を探していました。知り合いの人に頼んで了解してもらったのでしょう。

それでやっと語学学校を見つけ出し、通える状態になりました。

そして昭子さんと話して送り迎えはCAPEDISがすることになりました。(ガソリン代をCAPEDISに支払う?)

条件は毎月の試験で80点以上を取ること。取れなかった場合は即、送り迎えの協力は停止というもの。

本人も承知して、この学校に月曜から金曜までの16:00~18:00に通っています。

おそい時間まで職員に働いてもらったり、他の活動との調整が結構大変で、そして無駄も多い。

だけど本人は「通学は助けてくれるっていったんだから、80点以上とかちょろい」といった余裕の態度。

周囲の人間ばかりが努力している状況が続きました。

ところがある日他の用事で彼が学校に行く時間になっても車が到着しない。

結局彼は運転手を責め、「だって運んでくれる人がいなかったから」と簡単に授業を休んでしまったのです!

みんな腹が立ちました。もちろん昭子さんに頭をバシッ叩かれて、

「タクシーでもなんでも使って行きなさい!」

「タクシー代は?出してくれるの?」

「出すわけないでしょ!自分で持ってないなら借りてでも行きなさい!」

「…」

というやり取りをして落ち込んでいました。

そのぐらいの気持ちでは続かないです。

自分の腹を痛めることなく誰かがいつも助けてくれるなら学校に通ってもいいよ、という気持ちでは。

だから彼は学校に通いながらもお金を稼ぐ手立てを考えないといけない。

お友達に協力してもらってお店で歌を歌って稼ぐ、といっていたけれど1回行ったきりです。

彼の心理的・身体的困難な状態は計り知れないけれど、支援があってもぽいっと捨てちゃうのは彼の弱さ。

同情で見過ごすわけにはいかない部分です。一歩一歩、ですね。


家庭訪問その後。エレナ。】

自宅に帰ってから激やせしてしまった彼女。もう死にかけていました。

緊急会議を開いて定期的に訪問することを決定し、最初の日。

部屋を掃除し、汚れたシーツを変え、入浴をして、褥瘡治療、

食べ物を3週間ほど吐き続けていた彼女にやわらかいものを食べさせる。

ぼんやりしているけれど、少し脳みそが覚醒してきた様子を見せた。

このときは職員全員が彼女を生かそうと必死でした。

けれど母親は心理士に「早く死んでほしい。この子を看取ってからしか自分も死ねない。孫の面倒で精いっぱい。」

と話す。

お母さんは70代で、体力も気力も限界なのだろう。


【番外編! 「CAPEDIS主催コンサート」開催!】

コンサートの様子を少し。

たくさんの方々にご協力いただいて、盛況に終了できましたし、目標金額も達成できました!

ところが、その収益はCAPEDISの1ヵ月の活動費(給与は入っておりません)でパッと消えてしまいました。

とっても節約生活だったというのに・・・

写真左:朝から会場セッティング。旅行で2ヵ月だけ滞在していた元JICAが風船、看板と準備してくれました。

写真右:お寿司のご寄附があって、この売り上げがよかった。

    ちょっと高く売れますからね。日本人も食べたがる。あっという間に売り切れました!

写真左:年間通してCAPEDISに寄付される古着たちはこのように販売。

写真右:この方、JICAシニアの榊原さん。コンサートの提案をした人です。

    コンサートの実現のため、たくさん動いてくれました。

写真左:コンサート出演者は身近な人たちにお願いしました。チャランゴを弾いている彼は農場の職員、エミリオ。

写真右:役所に勤める榊原さんのお友達グループ。でもとっても上手。

写真左:JICAの若者。石垣島出身で三線が弾ける。榊原さんの太鼓は素人です。でも様になっている。

写真中:ボリビア在住の日本女性。箏奏者で、みんな興味深々でした。これは桜を歌っております。

写真右:CAPEDIS職員の旦那さん、ホセ・ロペス。

写真左:ホセが連れてきてくれたグループ。この方、チャランゴが大好きなのでしょうね、

    歯でチャランゴを弾いたり、

                   首の後ろに手をまわして弾いたりと大道芸人並みに会場を盛り上げてくれました。

写真中:もちろん、我が家のスター! ローナル!写真右:

写真右:お客さんはこのくらいを終始維持しておりました。

写真左:間でCAPEDIS紹介とお礼。シエロもしゃべる。

                「ヴぁッ ぷぁっ」マイクで遊んでいるんじゃ、ないですよ。たぶん。

写真右:ホセもしゃべる。「ままー、ままままままー。」

    こちらはきちんと発音できないだけで、きちんと「ありがとう」といっている。

写真左:民族の踊り、ティンク!プロです。迫力があってとってもよかった!写真右:

写真右:おまけ。高校からのおともだち。いつも助けてくれる。いいともだち、持ってます。