聖マルティンの家の歴史

記録
記録

1999年11月4日

「聖マルティンの家」創設の日です。

 

修道女であった野原さんが、

たった一人で始めた、障害を持つ人達の自立を支援するための施設です。

 

野原さんはこの施設ができる前、

修道院を出て、ボリビア国コチャバンバで活動を始めました。

 

自身、盲学校で働き 休みの時にはその学校で学ぶ生徒の中、

帰る家のない子等を自分の家に連れてきていました。

その野原さんの処へ、次々と集まってくる人がありました。

 

治療、療養の要る人 家のない(親のいない)障害を持つ子供達。

その人達のために住む家と、治療する費用が必要でした。

彼女は日本にいる兄弟・姉妹に応援を求めました。

 

そしてコチャバンバに家を貸してくださるというイタリア人に出会い

「家=住む処」が定まり、

聖マルティン・デ・ポラスのご保護を願って

【障害者自立支援の家「聖マルティンの家」】ができました。

 

 最初の入所は、骨粗鬆症の少女でした。

 

 同時に、日本の九州にエルピス会---野原さんの活動を後押しするグループ―が立ち上げられました。

 

 エルピス会便り第1号に代表:俵 靖子氏は、

 

「…南米ボリビアで、一人の日本人女性(野原昭子さん)が、

 心身に障害を持つ人達の自立を支援するために頑張っています。

 日本と違って、ボリビアでは、国や地方自治体から障害を持つ人々への援助はありません。

 彼等は貧しいが故に障害を持って生まれたり、生後 さまざまな理由から、障害を負わされたり

 (―病院にかかれない、十分な治療が受けられない等々)

 そのまま、日本では想像もつかない状況の中に置かれています」

 

と記し、身近な 関心を持ってくれそうな人に呼びかけました。

 

 2000年7月に出されたエルピス会便り3号で、その共同体(家)の名が

「聖マルティンの家」と名付けられたことが知らされました。

 

 前年(1999年)開設後、

すでに13人が治療を済ませ、家に戻っていったこと、

そして5月には新たに6名が入所し、毎週8名の盲学校の生徒がこの家に帰ってくると記されています。

 

 住居自体は10部屋くらいの大きな家でしたが、

備えられる家具、カーテンなども不足し、食事の手伝いをしてくれる人への支払いも難しく、大変な出発でした。

 

 当時援助した青年の一人は、アガピートさん(当時26歳)男性です。

先天性の小児まひのため片足が不自由でした。

彼が15歳の時、友達の喧嘩に巻き込まれピストルで正常な足の方も撃たれ、車いすの生活になりました。

その後、手術費用がないために、骨折部の固定用の金具を取り出す手術を受けられず、

体の中で金具が腐り始めていました。

 

野原さんは日本に大至急の支援を要請しました。

幸い支援を受けることができ、手術は無事成功!

松葉杖で歩けるようになりました。